【跡地】Mono-(B)Log 2nd
戸倉/サキガミ が 好き勝手にやっていく blog です。 引っ越しました。
2005.12.30
三国志10語り、三度目の挑戦編・第9回目です。
今回は「最北の決着編2」をお送りします。ついに巨星・曹操落ちる…?
きりの良いところで、これが今年最後のブログ更新になると思います。12月後半〜はうっかり三国志10にハマってしまったので、三国志ネタ続きですみませんでした。
それでは皆様。良いお年を。
今回は「最北の決着編2」をお送りします。ついに巨星・曹操落ちる…?
きりの良いところで、これが今年最後のブログ更新になると思います。12月後半〜はうっかり三国志10にハマってしまったので、三国志ネタ続きですみませんでした。
それでは皆様。良いお年を。
<其の三ノ9 〜 最北の決着編2>
北平攻めて負けて、薊の防衛に成功して。2度の戦争で曹操軍もけっこう手痛いダメージ受けたはず。北平攻めるなら今だ。はい行ってらっしゃいカク(お約束)。というわけで、219年12月。カク隊、北平攻略に成功します。ついに曹操、残り1都市です。ついにここまできたか…。
薊に戻ってくると、新たな軍団が編成されました。劉備軍第5軍団、都督は陳到です。軍団メンバーは、北平太守・陳到と、薊太守・徐庶さん。二人で襄平の曹操をやっつけてきて下さいということでしょうか。
襄平に密偵カクを送り込んでみると、襄平の兵力は8.2万。北平の陳到軍勢の兵力は9万。薊の兵力は3.8万。いい加減さっさと決着つけちゃいましょう、曹操。とばかり、徐庶さんひとりで2.4万の兵を率いて襄平を目指します。…実はこのときの出陣って様子見、上手くいって敵兵減らしくらいのほんの軽い気持ちだったんですよね。カクも連れて行かなかったし。
ところが、ちょうど同じ頃に、曹操軍が北平を攻略するべく南下し、陳到軍も襄平目指して北上していたのです。北平〜襄平間で激突する曹操軍と陳到軍。そこへ徐庶軍も加わり、北平近郊の戦いが始まります。劉備軍約10万VS曹操軍5.5万。で、曹操軍5.5万は壊滅し、そのまま襄平へ攻め込む陳到&徐庶。さあ、正真正銘、曹操軍との最後の戦いが始まります。
まあ、兵力差では、圧倒的にこっちが勝ってたんですよね…。フツーに戦って、フツーに城門を破壊し、フツーに市街地戦で政庁を破壊して、あっさり我が軍の勝利。…最後の戦いがこんなんで良いんだろうか。でもまあ「行ってらっしゃいカク」にならなかっただけ良かったですよね。
こうして220年11月。ついに曹操軍、滅亡。
戦後処理がけっこう大変でした。襄平で曹操配下を一気に30人くらい捕まえたのですが、彼らひとりひとりについて登用か解放か処断か決めなくてはならないのです。流石にやっぱり「処断」はできませんでした。登用を拒んだ武将は、全員釈放。どうせ帰る家は無いのです。気が変わったら劉備軍に仕官してくれるかもしれないし。まあ、孫権軍に流れて我が軍の脅威となってしまうヤツらも出てくるでしょうが、…たとえ「処断」しなかったことにより中華統一が遅れてしまうことになろうとも、いいんです。
捕虜武将はほとんどが登用を拒んで釈放されましたが(惇兄ー!(涙)、それでも10人くらいは登用に応じてくれました。
そして、襄平攻めの戦いで功績が満期に達し、徐庶さん二品官になります。うわあ良いタイミング…。(だって二品官といったら…、ねえ。期待してしまうじゃないですか、次の人事異動を…)
北平攻めて負けて、薊の防衛に成功して。2度の戦争で曹操軍もけっこう手痛いダメージ受けたはず。北平攻めるなら今だ。はい行ってらっしゃいカク(お約束)。というわけで、219年12月。カク隊、北平攻略に成功します。ついに曹操、残り1都市です。ついにここまできたか…。
薊に戻ってくると、新たな軍団が編成されました。劉備軍第5軍団、都督は陳到です。軍団メンバーは、北平太守・陳到と、薊太守・徐庶さん。二人で襄平の曹操をやっつけてきて下さいということでしょうか。
襄平に密偵カクを送り込んでみると、襄平の兵力は8.2万。北平の陳到軍勢の兵力は9万。薊の兵力は3.8万。いい加減さっさと決着つけちゃいましょう、曹操。とばかり、徐庶さんひとりで2.4万の兵を率いて襄平を目指します。…実はこのときの出陣って様子見、上手くいって敵兵減らしくらいのほんの軽い気持ちだったんですよね。カクも連れて行かなかったし。
ところが、ちょうど同じ頃に、曹操軍が北平を攻略するべく南下し、陳到軍も襄平目指して北上していたのです。北平〜襄平間で激突する曹操軍と陳到軍。そこへ徐庶軍も加わり、北平近郊の戦いが始まります。劉備軍約10万VS曹操軍5.5万。で、曹操軍5.5万は壊滅し、そのまま襄平へ攻め込む陳到&徐庶。さあ、正真正銘、曹操軍との最後の戦いが始まります。
まあ、兵力差では、圧倒的にこっちが勝ってたんですよね…。フツーに戦って、フツーに城門を破壊し、フツーに市街地戦で政庁を破壊して、あっさり我が軍の勝利。…最後の戦いがこんなんで良いんだろうか。でもまあ「行ってらっしゃいカク」にならなかっただけ良かったですよね。
こうして220年11月。ついに曹操軍、滅亡。
戦後処理がけっこう大変でした。襄平で曹操配下を一気に30人くらい捕まえたのですが、彼らひとりひとりについて登用か解放か処断か決めなくてはならないのです。流石にやっぱり「処断」はできませんでした。登用を拒んだ武将は、全員釈放。どうせ帰る家は無いのです。気が変わったら劉備軍に仕官してくれるかもしれないし。まあ、孫権軍に流れて我が軍の脅威となってしまうヤツらも出てくるでしょうが、…たとえ「処断」しなかったことにより中華統一が遅れてしまうことになろうとも、いいんです。
捕虜武将はほとんどが登用を拒んで釈放されましたが(惇兄ー!(涙)、それでも10人くらいは登用に応じてくれました。
そして、襄平攻めの戦いで功績が満期に達し、徐庶さん二品官になります。うわあ良いタイミング…。(だって二品官といったら…、ねえ。期待してしまうじゃないですか、次の人事異動を…)
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